最近のアジャイルだスクラムだの話について思うこと
デブサミなんかでも感じたけど、スクラムを中心にアジャイル開発手法が広まったことで、少し業界の中でのアジャイルに対する捉え方が変わってきたと感じている。
※ちなみに僕は「アジャイル」という言葉の定義について、XPに代表されるプラクティスや、スクラムと明確に区別したい(誤解の温床であると思うから)
※ただし、ここでそれをやいの言うのは本筋からそれるのでやめておく
ちょっと前まで
ちょっと前まではアジャイルがいい・悪いといった、誤解にまみれた宗教戦争が散見された。
「ハイブリッドアジャイル」なんて謎の言葉が生まれたり。。
最近
だが今はアジャイルやスクラムは方法論に過ぎないのだから、現場ごとに最適解を見つけていくのがよい、という流れに変わってきている気がする。
デブサミでのAgile TEDの話だとか
Developers Summit 2015 #devsumi
スクラムマスター兼任がいい悪いだとか
togetter.com
でもちょっと待って
それは一見、ごもっともで仰る通りだと思う。
だけど、ことスクラムに関していえばちょっと言いたい。
「現場での最適解」を言い訳にしていないか?と。
その前提を鑑みれば、ルールの変更(例えば兼任)は本質的な問題の隠蔽をしていないか?
誤解をしないで欲しいのは、「現実解」はあるということ。
理想形でなければスクラム(アジャイル)じゃない、なんていうつもりはさらさらない。
だけど、思考停止に陥る罠がないか?
例えば
例えばER設計をしているとき、いろんな事情から設計が歪むことはあると思う。
(正規化できないだとか、PKの更新処理があるだとか)
それは現場での「現実解」だと思う。
コストとかリソースだとか、いろんな要因でプロジェクトが行う選択を非難するつもりはない。
だけど「理想」は違うよね?
本当はもっともっとよくできるよね?
それと似たような状況になっていないか?
スクラム
繰り返しになるけど、スクラムはとても抽象的だし、ルールが少ない。
方法論に縛られるのは勿論よくない。
だけどスクラムのルールが何故あって、何故守らなければいけないのか、何が目的なのだろうか?
それを捨てると判断したしたうえでルールを変えているのだろうか?
Agile TEDで西村さんも言っていたけど、「アジャイルだ」と思った瞬間それはアジャイルじゃないと思う。
言いたかったのは
とても頭の固い人と思われそうなPOSTだけど、変化していくこと、現場での現実解を見つけていくことはアグリーです。
ただ、
- 理想型は現実と別に描かないといけない
- 「うちの現場はXXだから」という理由で思考停止にならないようにしたい
という自戒もこめて思うところがあったので。