なぜ定例が生まれるのか
組織が一定の規模以上になってチームが分割されてきたりすると、どうしても横の繋がりが弱くなってくる傾向がある。
リモートワークしてたりすると、よりその力学は強くなることが多い。
そうすると「定期的に連携しましょう、コミュニケーションとりましょう」ということになり、定例が生まれる。
あるあるな課題
じゃあ横断的な定例を始めようとするとどうなるかというと、普段密にコミュニケーション取っているわけじゃないので、「共有のための共有」になりがち。
前提のコンテキストが足りないので、どうしても説明がほとんどになってしまう。
そうするとまぁ、「資料を共有してくればいい」「後で読んでおく」「全員が集まる必要はない」といった声が上がってくる。
定例をやめると
じゃあ定例をやめて資料を読んでおくことにするとどうなるかというと、読む人と読まない人が出てくるし、当然読むタイミングにもズレが生じる。
そもそも横の繋がりが弱くなっている現状があるので、優先順位が落とされる構造にある。
自分はできるだけ読もうとするタイプだと思うが、忙しかったら後回しにすると思う。
読まないやつが悪いといえばその通りなのだが、そういっても課題は解決されない。
仮に全員が目を通したとしても、そこで感じた疑問・感想・その他フィードバックが可視化されることは稀に思う。
明確な課題ならそもそも定例を待たずに顕在化してくるものだし。
どうするといいのかなぁ
個人的には共有のための共有の場はあってもいいと思う。
ただ中身の設計は工夫する必要があって、参加人数・組織構造・事業フェーズに左右されるので、開催しない方がよい場合もあるだろう。
そういった場合に、資料共有などで同期コストを最小にするなら、たとえば感想や疑問を気軽にフィードバックできるような、ネットワークが相互にリンクするような仕組みが必要なんだろうなと思う。
それは別に定例を開く場合でも同じなんだけど、同期コミュニケーションは自然と行いやすいので(質疑応答のタイミングがあったり)。